開業&出産ヒストリー③
完全なプライベート記事にも関わらず少し引っ張ってしまいましたが、出産エピソードは今回で最後になります。
さて、いよいよ終盤。出産は最後まで何が起こるか分かりません。
それではスタートします!!!
残り少なしマタニティライフ
(妊娠後期~2015年5月)
相変わらず逆流性食道炎はありつつも、横位だった時のような心配事が無くなった私は平穏に暮らしていました。おなかが大きいので、下を覗いても見えるのはつま先がほんの少しだけ。見えない分歩くときにはより一層気を付けていました。
紐靴を履くのに毎回苦労するので、新しい靴を買いました。スリッポンとかいう紐がない靴で、(足を差し込んだらスッと履けるタイプ)紐が解けたりする煩わしさから一気に解放。
本来なら紐のある靴の方が好きですが、今はただ履くのが楽だということが重要でした。
この頃になると日頃からあった眠気がどんどん強くなり、キッチンで洗い物などしている最中に疲れて座り込んで眠ってしまい院長に起こされる。という事が何度かありました。
一番気になったのは、足のむくみです。
足がだるくて仕事中にズボンをめくってみると、足首が象のように太くなっていてびっくり。グッとつかんでみると指の跡がくっきり残ってなかなか戻りません。まるで高反発素材でできた足のよう。
予定日まであまり時間は無いけれど、スタイ(よだれかけ)くらいは作ってみたいと思っていました。
裁縫は苦手ですが、子供が出来た途端に色んな創作意欲が湧き出てきて何か作ってあげたくなったのです。
そうこうしているうちに、2015年5月25日。「北郷通りはり灸整骨院」も無事にオープンし、始まってからは患者様も少しづつ来て下さって何とか二人で頑張っていました。(その頃の院の様子はいずれ院長に書いてもらおうと思っています)
ある日、“あとひと月ほどで産まれる。”という時に無性に美容室に行きたくなり、さっそく近くの美容室に電話をして予約を取りました。
ここの店長さんはとてもカットが上手で、美容室難民だった私がこれからはここで決まりだ!と思えるお店でした。決してお値段は安くはなかったのですが、某サイトで見つけた安価な美容室で見事に全敗した経験があるので、お値段よりも自分に合うか合わないかで決めることにしたのです。
(嫌な思いを何度もしたので、美容室というものに嫌悪感すら抱き、一時期はずっと自分で髪の毛を切っていました。)
「肩につかないくらい短くしたいんです!」と注文して、「え、そんなに切っていいんですか?」と驚かれましたが、子供が産まれたらドライヤーをかける時間すら取れるのか危ういので!と言うと店長さんも納得。
そうして肩にかすりもしないショートヘアに生まれ変わりました。ただ短いだけじゃない、フォルムも完璧です。臨月を迎えたら行こうと思っても行けなくなったりするかもしれないし…何より準備は早めに越したことはありません。
その勢いで、帰宅後には出産用入院セットを詰め込んだ大きなカバンを一つ作りました。
これ一つあれば事足ります。いつでもこいだ!!
お守り代わりに映画チャイルドプレイのチャッキーTシャツも入れました。
異変…!!!
髪の毛を切って一日後の事です。
職場のトイレで用を足すと薄い色の血が。。。ドロッとして伸びて、中心部分に赤線が入ったようなものでした。これはもしかしてもしかして!
おしるし!?
でもまだ出産予定日よりひと月近く前です。“おしるし”とは出産が近くなった時に出るらしいので出血は他に原因があるのだろうか。ちょっと不安になりましたが、ここ最近お腹が下がってきた感じがしていたので可能性は十分にある。
急に緊張感が走りました。もしこんなに早くに産まれたらこの子は大丈夫なんだろうか。
まずは院長にもおしるしの事を伝えなくては。
『ねぇ…おしるしが出たみたいなんだけど。これってもう産まれるって事かもしれないよ。』
それを聞いて、まさか。という顔をしていましたが、きっと私の早とちりと思ったに違いありません。『こんなに早く産まれる?』という返事が返ってきました。
予定日より28日も早い。気のせいかもしれない…
でも、しばらくするとお腹に痛みが。いつもの生理痛ぐらいの痛みですがしばらく痛んでまた45分後位に痛みだす。痛くて痛くて職場のホットパックをお腹にのせて座っていました。痛みはゆっくりだけど確実に強く。
…これ、陣痛だ。確実にそうだ。もうすぐ産まれる。
初めてでもやっぱり体感すると分かるものなんですね。まだまだ時間があると思っていたのに、スタイを作るのは産後になってしまうなぁ。とりあえず髪の毛を切れたことは幸運だったのだと思いました。
仕事が終わって自宅に着く頃には陣痛の感覚は40分位になって、痛みはより増してきていましたが痛みの間を狙ってシャワーを浴び、夕食は院長がナポリタンを作ってくれたので必死に食べました。おいしい。
これからの出産に備えて食べなくては、と見事に間食。いざ出産!いえ、気分的にはいざ出陣!!!!
痛みが引くといつも通りに動けるのですが、一度陣痛の“波”がやってくると痛くてたまらず腰を強くさすってもらうと幾分か楽になるのでした。
とりあえず病院に電話をして支持を仰ぎましたが、5分間隔になったら来てください。と…
家から車で5分もあれば到着するので、まぁ大丈夫でしょう。先日作った大きなかばんも玄関にセットして、最後に眼鏡などの必需品もかき集めました。
ちなみに私は死ぬほど目が悪いので普段はコンタクトレンズを使用しています。
5分間隔になったら行けばいい。それまでは何とか耐え抜かなくては。
でも5分どころか15分にさえならず、ここからの戦いが非常に長かったのです。陣痛の間隔は院長がノートに記してくれていましたが、文体の荒々しさからも当時の壮絶さが窺えました。
夜8時位から、本気を出し始めた陣痛が5分間隔になったのは朝の5時を回ってから。ようやく!5分!待ったよ5分!!急いで病院までゴーーーーーー!!!!!
いざ病院!!いざ出産!!!
車に向かうまでも一人では歩けないほどで、支えてもらいながら助手席に乗り込みました。車の揺れを感じるだけでも痛みが倍増するようでヒィヒィいっていました。
自分も院長もほぼ一睡も出来ませんでしたが、痛みが凄すぎて眠気など全く感じることはありません。病院に到着すると、まだ薄暗い院内を歩き陣痛室なる場所へと通されました。
部屋に着いてから、産まれる前に写真を撮ろう。といってお互いを撮りあいました。
2人きりなのは今だけだから。次は3人で撮ろうね。なんて話していると…
『じゃあ、ちょっと職場行ってくるね。』と院長。
?…!?!?!?!?!?
待って。この状況で置いていくの!?
『店の外に休むって張り紙しないとだめだからさ、行ってくるわ。』
わなわなしながら、私は『予約の患者さんには電話で言えばいいし、もうすぐ産まれるしいつ休むか分かんないっていってあるじゃん!店に張り紙なんかしなくたってそんなに患者さん来ないわ!!!というか一人にしないで!』と怒ってしまいました。
すでにかなりの痛みに追い込まれていた私は、行っておいでと言えるような余裕はありませんでした。
院長も私の形相を見て悟ったのか、店に行くのを止めて、いそいそと部屋の外に電話をしにいきました。私はそのたった少しの時間でさえも一人で耐えるなんて無理だ。と弱音ばかり吐いていました。
と、そこに看護師さん。
「痛いけど頑張りましょうね。さぁ内診しましょう!」と。
指で子宮口をぐりぐりとほじられているような。痛い痛い痛い。痛いけど…思わぬ希望の言葉が!
「これならお昼ぐらいには産まれそうね~!」
おおおおおおお、お昼!?今は朝の8時位だからもうすぐじゃん!もうすぐ会えるんだ!!
少し気持ちが楽になって母にもメールをしました。仕事が終わったらそのまま向かうと言ってくれました。きっとみんな赤ちゃんが産まれたら喜ぶだろうな。
ところで、「破水」はいつするんだろう?
ドラマなんかのイメージで、産まれる前に突然破水するシーンを目にしてきたけれど一向に破水する気配がありません。
痛みが来るたびにお腹がグッと腫れあがるような痛みに、早く破水してくれ!と思いました。初めての陣痛だし、破水したらどうなるかなんて分からないくせに破水したい思いでいっぱいでした。
食事を出されても食べる気にならず、院長に代わりに食べてくれと告げ、飲み物を差し出されても飲みたくないと拒否し、最終的には無理やり飲ませてくれました。水分不足にならずに出産できたのは、こまめにレモンウォーターを飲ませてくれた院長の努力の賜物でしょう。
陣痛中は座っていても寝ていても痛いから、どうにか楽な体勢はないかと立ち上がり歩いてみることに。
院長に支えてもらいながら部屋をウロウロしてみます。
陣痛の波がきたら、ものすごい勢いで院長のことを抱きしめ…いや、潰す勢いで締め上げていました。
(イメージ図~GANTZより~)
もう少し力が強かったらこうなっていた可能性もあります。
途中で仕事終わりの母も参戦し、痛みに暴れる私を抑えつける任務に取り掛かりました。その頃になると院長もクタクタでした。どこかでみた金魚みたいな顔をしています。
右に院長、左に母が立って手を握って応援してくれました。
私は陣痛のたびに2人の手が折れんばかりに握り締め、「痛いよぉ~」と情けない声で泣き続けました。
予定の「お昼には産まれそうね!」を過ぎても一向に破水せず、子宮口は全開にならず。
日も暮れかけた頃にようやく“促進剤をつかおう。”となり、先生はなにやら点滴を始めました。しばらくすると、輪をかけたように痛みが倍増。そりゃ、薬で無理やり陣痛を促すんだから痛くないはずはありません。
痛みが増していくとともに、酸素マスクをつけられているのに息が苦しくてたまりません。もう無理!産めない!みたいなことを叫んでいたと思いますが、細かい所はあまり思い出せません。
後から聞かされましたが、その後の陣痛の合間に私は何度も気絶していたようです。さぞ滑稽だったろうなぁと思いましたが、当人それどころではありませんでした。
痛みに耐えきれず私が自分の腕を激しく引っかいたりするものだから、院長も母も止めに入らねばならず、3人とも疲労困憊です。
その様子を見て、とにかく出産とは戦いなんだな。という事が分かりました。
自分が辛いのは勿論の事、一緒にいてくれる人たちはもしかしたらもっと大変なのかもしれない。
私は痛くて当たり前でも、痛くないのに傍にいないといけない人達は、同じ温度で戦うために並々ならぬエネルギーを燃やしているように見えました。
世の中には、一人っきりで出産しなくてはいけない人もいます。心強い戦友が居てくれることに心から感謝しなくては。
そして、産まれる直前についに人口破水させる事に。
パンパンになった羊水に苦しめられましたが、パシャっと温かい羊水が流れた後はスゥ―っと楽になりました。
痛みが和らいだ私は、先生に「立ち会いはどうしますか?」と聞かれ、即座に『お願いします!一人では産めないです!!』と答えました。
当初、色んなことを心配して立ち会いはしたくないなぁ。と言っていた私でしたが、ここまで一緒に頑張ってきた戦友と最後まで戦い抜きたいという気持ちのほうが勝ちました。
立ち会いの準備ができた戦士が扉から入ってきます。
その、エプロンをした姿は。
何か見たことある…
あ、あれだ…
それは以前、二人で徳寿に焼肉ランチを食べに行った時のこと。油跳ね防止に付けていた紙エプロン姿を彷彿とさせました。私にはもう、院長がこれから焼肉を食べようとしている人にしか見えなくなってしまったのです。
感動のシーンなのにこんなことを連想している自分は全くしょうもないと思いながら、そこから3回ほどいきむと、娘は勢いよく産まれてきました。か細い声で『ふにゃーっ』と泣いた娘に安心して、ようやく心からホッとしました。
産むまでに泣きすぎたからか、涙よりも達成感と喜びで笑顔が溢れました。
こうして我が家は3人家族となりました。
2015年6月9日、午後16時26分
36週と2日。早産でしたが体重は2502g、身長47.5㎝でした。
2500g以下だったら保育器に入っていたといわれましたが、どこにも問題もなく次の日からは母子同室になりました。
今では2歳7か月になった娘。
私がどこか痛がると、院長のまねをしてはりをしてくれます。
『なおりますよ~ちょっとちくっとしますよ~』とか言いながら、はりの外側についているプラスチックの筒を使って治療してくれるのです。少しずつですが、ちゃんと父親の背中を見て育ってくれています。
娘も店も2歳7か月。
まだまだこれからですが、ともに大きくなるのを見守っていただけたら嬉しいです!!!
長くなりましたが、開業&出産ヒストリー読んで頂いてありがとうございました。