開業&出産ヒストリー①
札幌は毎日寒く道路もつるつるで、私は先日ついに初転びしてしまいました。気が付くと娘と一緒につるっと滑り、おしりをズドン。
毎年、「今年は転ばないぞー!」と気を付けているのに、転ばなかったのは結局妊婦の時だけでした。妊娠時は多分人生で一番アンテナを張って過ごしていたんだと思います。
皆さんも、年の瀬に転んでケガをすることのないようにお気をつけ下さい!
さて、今回は私の“開院&出産ヒストリー”をお話しさせていただきます。
当院が開院したのは約2年半前のこと。
私の出産も約2年半前のこと。…そう、『開院&出産』は、ほぼ同時期の事でした。なので私としてはこれは切り離すことのできない大切な出来事です。
初めての妊娠、出産で私なりに感じたありのままを書きました。
胸やけしそうな位に濃い内容なので3回くらいに分けて書かせて頂こうと思います。よろしければお付き合いください!!
ぎっくり、妊娠、悪阻の始まり
その兆候を感じたのは、ぎっくり腰を感じたある日のことでした。
またぎっくりかよ!とお思いの方が多いのは察するに余りあるのですが、突っ込みはどうか心の中でお願いします。
妊活をしていたので、毎月もしかしたら…といつも思っていたし、妊娠初期の症状などはしょっちゅうスマホで検索していたので、このぎっくり腰はもしかしたら妊娠のサインなのかもしれない。と…
妊娠超初期の症状の一つとして、腰の痛みが出ることがあり、主な原因は妊娠とともに分泌される“リラキシン”という卵巣ホルモンが、骨盤をつないでいる靭帯を緩めるからだそうです。骨盤が開き不安定になることで腰痛が起こりやすいと言われています。
まぁ、まだ生理予定日にすらなっていなかったので確かめようがなかったし、院長も整動鍼を始める前の事だった為、私は安静にしてギックリを治すしかありませんでした。
たしか2日は仕事を休んで寝たきりだったと思います。
妊活中は、たとえ妊娠していなくても薬を飲んだりできないので、痛み止めやブロック注射も安易にすることはできません。
シップも貼ってはいけないものが多く、貼れるのは薬の弱い一部のものだけなので、使用したところでほぼ無意味でした。
2014年11月5日。
妊娠が分かったのは生理予定日を1週間過ぎた日の夜。検査薬を使用して、一分後に恐る恐る確認してみると…少しかすれ気味ではありましたが、『陽性』のラインが浮かび上がっていました。
念願の赤ちゃんを授かり、私たち夫婦は喜びで胸がいっぱいです。『やったね!』と手を取り合い、涙しました。でもまだ安心はできません、ちゃんと大きくなってくれるだろうか。心臓は動いてくれているんだろうか。
妊娠前には、ちゃんと授かることが出来るんだろうかと思い悩んだりもしましたが、子供が出来たら出来たで、妊娠前とはまた違う心配が沢山あることを知りました。
心拍が確認できる6週位になると、最初は軽く感じていただけの“つわり”がどんどん酷くなり、病院で妊娠確定してもらった時にはすでに笑顔にもなれない程の吐き気に襲われていました。
院長が『やったー!』と言ってガバッと抱擁してくれていたのに、私はずっと魂の抜けた金魚のような目をしていました。これはいつまで続くのか…?
幸せだけど、地獄みたいな生活の始まりです。
吐き気VS仕事
(~妊娠初期~2013年12月)
私たち夫婦は当時同じ整形外科のリハビリ室で働いていました。(職場結婚です)
2人とも2014年4月末で退職が決まっており、院長は5月に開業、私は7月に子供が産まれるのでギリギリまでは新しい店を手伝って働くつもりでした。
でも、いざつわりが本格化するといつもと同じに働くことは困難を極めました。寝ても覚めても吐き気がある上に、ほんの少しのにおいでもアウトだったのです。
例えば、風邪予防に着けていたマスク。このマスクの素材のにおいだけでも吐き気がするのです。当然自分の吐く息もダメだったので、マスクにミントの香りがするオイルをつけてみたり。なんというか、妊娠後に突然嗅覚がフルで活動し始めたというか。
においレベルを数値化して考えると、非妊娠時が3か4くらいだとすると、妊娠したとたんに最大値10まで一気に跳ね上がったような感じでした。とにかくにおいのオンパレードです。どこにいても何かしらのにおい攻撃を受けます。
ガムでも噛めたら良かったのですが、人工甘味料が入っているものは一切受け付けなかったので、食べられるものはかなり限定されました。
妊娠すると体に害があるようなものを体が拒絶するようで、本当によくできているなぁと感心しましたが、今まで関わってきたものは予想以上に体に良くないものばかりだったのだと思い知ることにもなりました。
いつもの柔軟剤や洗剤もダメ。歯磨き粉もダメ。シャンプーの匂いももちろん、ご飯の匂いなんかもダメ。なので洗剤もシャンプーも総取り換えとなりました。
食べられるものも日に日に変わり、「カリカリ梅は食べられる!」と何袋も買い込んだのに2日後には食べられなくなったり、辛ラーメンしか食べられない時期も。ご飯を食べられなくても食事の支度はあったので頑張って作りましたが、においで胃がやられてとても食べる気にはなりませんでした。
味覚が変わったりもして、口の中がなぜかずっと甘いとか、ずっと苦い時期もあってそれもキツいものがありました。
飲み物で言うと、1番お世話になったのは午後の紅茶のミルクティーです。
こんなに甘ったるいもの、逆にダメになりそうな感じですが私には合っていたようです。
何か月かはそれしか飲めず、職場に行くときには毎日水筒に入れて持っていきました。
そんな生活をしていたから妊娠5ヶ月くらいまではどんどん体重は落ちていたので、同じ職場のスタッフや患者さんも私の妊娠には気が付きません。指まで痩せて指輪がゆるくなっていました。
安定期に入るまでは、同じリハビリのスタッフ数名にしか妊娠のことを伝えていませんでしたが、身体の大きな患者さんの移動を代わってくれたり、お腹の張りが強い時には空いているベッドに横にならせてくれたり。
香水などにおいのきつい人が来たら率先して「やりますよ!」と言ってくれました。
と同時に、全然役にたたない自分に涙が出てくることも多々ありました。様々な面でみんなにサポートをしてもらい、本当に何度感謝しても足りないほどでした。
安定期、つわりばいばい?
(~妊娠中期~)
妊娠5ヶ月でいわゆる“安定期”に入るそうですが、私は6か月くらいまではつわりに苦しめられてきました。毎日が船酔いのような出口の見えない毎日でしたが、とうとう長いトンネルは終わりに向かっているようです。だんだんと日の光が見えてきました。
やった―――――!!!
頑張ったぞ、自分!
半年が経過した頃には徐々に吐き気が緩やかになり、ご飯が少し食べられるようになり、院長はつわりを乗り越えた私へのご褒美に、びっくりドンキーに連れて行ってくれました。ご飯とチーズソースがたっぷりかかったハンバーグ、食後にはデザートまで頼んで大満足の一日です。
ご飯がおいしく食べられるだけでこんなに嬉しいとは。
妊娠やつわりを経験して、こういった喜びを再確認することができました。吐き気ばかりで憂鬱だった日々も無駄ではなかったのです。
つわりが楽になってきた一方で、今度はお腹が大きくなっていきます。食事がとれるようになってきたからでしょうか、体重も少しずつ右肩上がりで増えていきました。
…『妊娠したら、水を飲んでも太るからね。』
友人からのアドバイスがふっと頭をよぎり、背筋がゾクッとしました。
人によっては息をするだけで太る。なんていうのも聞いた事があります…そんなばかな。それでは黙っているだけで太っていくことになるではないか。
それに私は、「この子が元気で大きくなってくれさえすればいい。いままでかなり体重が減ったのだからじゃんじゃん増えたって知れているだろう。」と思っていました。
まさか黙っていても太る期に突入していたとは。
このつわりが無くなった月に一気に体重が増えるとは思っていませんでした。
あのびっくりドンキーを皮切りに、ご飯以外にもお菓子などを次々に食べ始めた私は、もはや食欲の塊になっていたのです。
だって今までこんなに我慢していたんだからいいじゃないか。つわりで減った分を考えたらあと○キロは太っても大丈夫、まだたったの3キロだし…などと太ってもいい言い訳ばかりを考えていました。
職場には毎日「ぱりんこ」というおせんべいを持ち込み、家に帰れば今度は「ポテトチップス」を一袋。毎日毎日なにかしらのお菓子を買って帰宅していました。
もちろんこんな生活をしていることがバレれば、院長だって黙ってはいないでしょう。
私はバレないように食べ終わった後のゴミは、ごみ袋の一番奥底にねじ込んで捨てていました。証拠隠滅を図るとまた明日には別のお菓子を物色する、といった毎日でした。
しかし、こんな私の小細工を院長はとうに見抜いていたのです。怪しんだ院長はゴミ袋の中身も確認して証拠を押さえていました。
今考えると、院長の勘の良さは前々から知っていたのに、私の詰めが甘すぎたのです。
以前の職場で他のスタッフに「山本先生は後ろに目が付いている」と言われていただけあって、彼の洞察力はみんなが感心するほど高かったのです。
患者さんの異変などにも、一番遠くにいるはずの院長が誰より先に気が付く。なんていうこともよくありました。(でも肝心な事には気が付いてくれない鈍感さも持っています)
そんなこんなで私の暴食は院長にばれてしまいましたが、そう簡単には買い食いは止められるものではありませんでした。私は作戦を変更し、帰りがけにお菓子を買って食べ終わったら外のゴミ箱に捨てて帰ることにしました。
どうしても家で食べたい時には、ゴミはかばんの中のポケットにしまい込んで決して家では捨てないようにしたのです。
おかげで、その暴食したひと月で体重は4キロ増えていました。
ご飯というよりもお菓子がやめられない。でも体重は病院でいよいよ怒られたら気を付ければいいんだ。
もはや誰の言葉も聞く耳を持たない暴食妊婦に成り下がっていました。なんだかつわり期を終えた妊婦は、産まれたてのはらぺこあおむしに似ています。
はらぺこあおむしとはとても有名な絵本なのですが、簡単に説明すると一匹のあおむしが産まれ、空腹のあおむしは最初はリンゴやイチゴなどの果物を食べていましたが、どんなに食べても空腹だった為次々と暴食を繰り返して最終的には食べ過ぎでお腹を痛めてしまうのです。
読んでいるときは「そんなに食べ過ぎてしまうなんてばかだなぁ」と思っていたのに気づけば自分がそうなっていました。
こんな状態なのでズボンのファスナーはBLEACHの卍解の如く常に解き放たれているというとんでもない状態です。
さて、この暴食妊婦はその後どうなっていくのでしょうか…?
今回のお話はこの辺りで終わりにしようと思います。
後半もぜひ読んでいただけたら嬉しいです!
私の更新は今年最後になります、拙い文章にお付き合いくださってありがとうございました!
2018年も北郷通りはり灸整骨院をよろしくお願い致します。みなさんよいお年をお迎えくださいね!!