開業&出産ヒストリー②
こんにちは、そして明けましておめでとうございます!!
みなさんはどんなお正月を過ごされたでしょうか??
交互に実家にお世話になり、御馳走をたらふく平らげたお陰ですっかり肥えてしまいました。
でもお正月は太ってナンボです。
お雑煮が大好きなので毎食おもちを2つ入れて食べ、大好物のかまぼこと栗きんとんも食べ、大変満足なお正月でした。
さて、前回書いた「開業&出産ヒストリー②」の続きを書いてみました!!
前回はつわりが治まり、食欲が止まらないモンスター妊婦のお話でしたが…その後はいかに!?
それでは、新年一発目スタート!です。
第二の試練
つわりが落ち着いて沢山食べることに慣れ始めた私でしたが、体重が重くなりゆく中でふと圧迫感に襲われました。
その正体は“大きくなったお腹”でした。
当たり前ですね。考える必要もありません。
この間まで全然目立たなかったのに、前に突き出してきています。きっと沢山食べたからお腹の赤ちゃんも成長しているんだな。
膨らみ方を見てみると、すでにみぞおち辺りから膨らんできていました。
「あら、おおきくなったねぇ。」と気分よくお腹を撫でる私でしたが、その1週間後にはものすごい体調不良に襲われることになったのです。
まず、食事。
あれほどエンドレスに食べ続けられたのに、少し食べるだけで苦しさに襲われてろくに食べられなくなりました。そして、物を食べるとすぐにこみ上げてくる胃液。
吐く予兆も無いのに、胃液が勝手に上がってくるのです。
こんな感覚は初めてだったので、早速ググってみることにしました。ハイテク時代に産まれてきたお陰で一人でも難なく情報を手に入れられます。
『妊婦 胃液が上がる』と検索。
スマホ内の情報によると、この症状はおそらく「逆流性食道炎」ではないかと推測できました。
“つわり”と同じように吐き気がしたりするので気づかない人も多いようなのですが、妊婦さんに多い症状の一つであるようです。
大きいお腹が胃を圧迫し、胃が押し上げられることによって逆流が起きやすいそうですが、妊娠中期から始まり臨月で酷くなるというパターンもあるらしく。
私の場合は食べ過ぎが手伝って酷くなってしまったのかもしれません。とんでもないことをしてしまったと後悔してもすでに遅し。
なぜ、せっかく回復したはずなのに次々と不調の波が襲ってくるのか。もし体の中で不調を巧みに操っている細胞がいるならとっつかまえて一発殴り飛ばしたい。
私はこの時点でかなり滅入ってしまい、吐き気と胸やけ、げっぷ。口まで上がってくる酸っぱさに頭が禿げそうになりました。
つわりが落ち着いたのは6か月に入った頃。体調不良が戻ってきたのは7か月に入った頃なので、わずか1ヶ月足らずの儚いオアシスになってしまいました。
お陰で暴食は止まりましたが、これからはこの逆流性食道炎が相棒となったのです。
そんな不調の中、一つ幸せな出来事がありました。24週でついに赤ちゃんの性別が判明したのです。女の子とのことです!!
どちらでも嬉しいと思ってきましたが、性別が判明するとよりリアリティが増して妄想の世界が花開いて行きました。
もしも女の子だったら一緒に買い物に行ったり、スイーツ巡りをしたいとあらゆる妄想をしていたのでそれを励みに乗り越えよう!
横位…?
逆流性食道炎との付き合い方もうまくなって、食べても横にならない。←(横になるとすぐに胃液が逆流するので。)食べ過ぎない。など気を付けながら過ごしていたある日。
8ヶ月に入り、院長と一緒に健診に行くとエコーを見た先生が一言。
『赤ちゃん、真横になってますねー。』
映像を確認すると、顔が下を向いて体は横向きになっていました。私は特に何とも思わずに「寝返りでもしたのかな?可愛い。」くらいに思っていました。
すると先生は続けて
『ずっと横向きのまま治らなかったら帝王切開になりますねぇ、でもまだ28週なので。』とかなんとか。
突然の“帝王切開”という言葉に、先生がまだ何か話しているけれど反対の耳から零れ落ちて消えていきました。
え?これって逆子ってこと?…帝王切開…??
経腟分娩を望んでいた私は、その言葉だけで動揺してしまいました。
でも逆子体操をしろとも言われなかったし、これから自然に治るかもしれないってことだよね?と自分に言い聞かせて、なるべく考えないようにしていました。
横向き。逆さでもなく横向き。
それを横位(おうい)と呼ぶらしく、横位のままだと帝王切開は避けられないそうです。
最終的に最後まで横位のまま出産する人は全体の0.3~0.4%ほどで、妊娠後期までに自然に治る場合も多いそうですが、ただでさえ初めての出産だし、耳慣れない言葉を聞いた私は冷静ではいられませんでした。
コンクリートにへばりついたガムのようにいつまでも剥がれずにいて、思い出す度に眠れぬ夜を過ごしました。
ちなみに横位で自然分娩をすると
ママの死亡率 2%
赤ちゃんの死亡率 37%
そして、経腟分娩の場合は死亡率50%だそうです。
帝王切開は絶対に嫌だ!というわけではありません。我が子が無事なら何だっていいのです。でも、正直に言えば…もし治るものなら治ってほしい。
祈りながら、頭は下だよ!とお腹に向かって何度も何度も話しました。
2週間後の健診でのエコー。ドキドキしながら見てみると…
そこには前回と変わらず横向きで少し大きくなっている我が子がいました。成長ぶりは順調だけど、30週を迎えてもまだ横位は治ってくれてはいませんでした。
顔には出さないように、と思っていても落ち込んでしまう自分を隠せず院長と話をしました。そして、いよいよ横位を治すための鍼治療をしてみることになったのです!
横位治療。効果はいかに…!?
逆子治療といえば昔から鍼やお灸で治療するのは有名ですが、鍼灸師の妻なのに横位の診断を受けるまでそんな選択肢があったことさえ忘れていました。
当時はまだ整動鍼も知らない時代。今や毎日はり三昧の院長も、普段の仕事で鍼を使うことがない環境だったし、(整形外科勤務の時は主にマッサージ、運動療法のみでした)なんだか“はり”って遠い存在です。それに鍼で横位が本当に治るのかな?と思いましたが、治る可能性のあることは何でもしたい!と強く思っていました。
さて…仰向けになり、逆子に効くとされるツボめがけてはりが刺さります。
“三陰交”。鍼灸に疎い私でも名前ぐらいは知っていました。
軽くチクンとはりが刺さるのを感じ、トントンッと少しづつ深くに入ってきます。
ズシンと重みを感じてはっとしたのもつかの間。
何が起きたのかと驚く位にお腹の赤子が『ギュルン!!!!!』と激しく動いたのです。
予想もしていなかった激しい反応に思わず『うわーッ!!!』と声をあげてしまいました。お腹の中で前転でもしたんじゃないかとさえ思えるほどアクティブな動きでした。
なんなんだこれは。
まさか、一回刺しただけで横位が治ったとでも?でもこんなにあっけなく、こんなに瞬間的に治るなんて事があり得るものなのでしょうか。
でも予想以上の反応に、“もしかしたら本当に治ったのかもしれない”と期待しながら次の健診へ…
結果。
……見事に治っておりました!!!びっくりもびっくり!!!!!
あの時感じた我が子の反応はまさしく頭位(頭を下にするポーズ)になる瞬間だったのだと確信しました。
ポジションが変わると胎動を感じる位置も変わるので、鍼をする前には左右の脇腹に近い場所に多く感じていたものが治療後には上(おへそよりも上)に向かって激しいキックを感じるようになったのです。
治ったんだ。と思った瞬間に今までの不安はスーッと消えていき、また穏やかな毎日を送ることが出来ました。
胎動が激しいと眠れない事もありましたが、横位であった日々の不安に比べたらなんてことはありませんでした。
実際に体験したからこそ言える。
もし逆子や横位で悩んでいらっしゃるのなら赤ちゃんが大きくなる前に是非治療なさって下さい!
私の場合は28週で治療を始めましたが、32週辺りを超えるとお腹の中で自由に動けるスペースはどんどん無くなっていき、34週を過ぎると治る確率はさらに激減してしまいます。
つまり治療開始が早ければ早いほど治る可能性は高いのです。
「もう手だてがない!」と諦めてしまう前にこんな選択肢もあるということを知っておいてほしいのです。出来れば逆子の診断が出た段階で治療できるのがベストです。
こういった悩みは案外周りの人には分からない事ですし、お母さんだけが不安を感じすぎてストレスばかりが溜まってしまうと体にいいとは言えません。
逆子治療を行っている鍼灸院は沢山ありますし、まずはお電話で相談してみてください!
当院でも逆子治療が出来ます。今年からLINE@での予約が出来るようになりましたので、「こんな症状は治療できますか?」「子供も一緒に来院できますか?」など、ご相談だけでも受け付けております。
お気軽にどうぞ!!!
LINE@でのご相談、予約はこちらから↓
https://www.kitagou-chiryou.com/reservation-access-map/
読んで下さってありがとうございました!!
次回へ続きます。
開業&出産ヒストリー①
札幌は毎日寒く道路もつるつるで、私は先日ついに初転びしてしまいました。気が付くと娘と一緒につるっと滑り、おしりをズドン。
毎年、「今年は転ばないぞー!」と気を付けているのに、転ばなかったのは結局妊婦の時だけでした。妊娠時は多分人生で一番アンテナを張って過ごしていたんだと思います。
皆さんも、年の瀬に転んでケガをすることのないようにお気をつけ下さい!
さて、今回は私の“開院&出産ヒストリー”をお話しさせていただきます。
当院が開院したのは約2年半前のこと。
私の出産も約2年半前のこと。…そう、『開院&出産』は、ほぼ同時期の事でした。なので私としてはこれは切り離すことのできない大切な出来事です。
初めての妊娠、出産で私なりに感じたありのままを書きました。
胸やけしそうな位に濃い内容なので3回くらいに分けて書かせて頂こうと思います。よろしければお付き合いください!!
ぎっくり、妊娠、悪阻の始まり
その兆候を感じたのは、ぎっくり腰を感じたある日のことでした。
またぎっくりかよ!とお思いの方が多いのは察するに余りあるのですが、突っ込みはどうか心の中でお願いします。
妊活をしていたので、毎月もしかしたら…といつも思っていたし、妊娠初期の症状などはしょっちゅうスマホで検索していたので、このぎっくり腰はもしかしたら妊娠のサインなのかもしれない。と…
妊娠超初期の症状の一つとして、腰の痛みが出ることがあり、主な原因は妊娠とともに分泌される“リラキシン”という卵巣ホルモンが、骨盤をつないでいる靭帯を緩めるからだそうです。骨盤が開き不安定になることで腰痛が起こりやすいと言われています。
まぁ、まだ生理予定日にすらなっていなかったので確かめようがなかったし、院長も整動鍼を始める前の事だった為、私は安静にしてギックリを治すしかありませんでした。
たしか2日は仕事を休んで寝たきりだったと思います。
妊活中は、たとえ妊娠していなくても薬を飲んだりできないので、痛み止めやブロック注射も安易にすることはできません。
シップも貼ってはいけないものが多く、貼れるのは薬の弱い一部のものだけなので、使用したところでほぼ無意味でした。
2014年11月5日。
妊娠が分かったのは生理予定日を1週間過ぎた日の夜。検査薬を使用して、一分後に恐る恐る確認してみると…少しかすれ気味ではありましたが、『陽性』のラインが浮かび上がっていました。
念願の赤ちゃんを授かり、私たち夫婦は喜びで胸がいっぱいです。『やったね!』と手を取り合い、涙しました。でもまだ安心はできません、ちゃんと大きくなってくれるだろうか。心臓は動いてくれているんだろうか。
妊娠前には、ちゃんと授かることが出来るんだろうかと思い悩んだりもしましたが、子供が出来たら出来たで、妊娠前とはまた違う心配が沢山あることを知りました。
心拍が確認できる6週位になると、最初は軽く感じていただけの“つわり”がどんどん酷くなり、病院で妊娠確定してもらった時にはすでに笑顔にもなれない程の吐き気に襲われていました。
院長が『やったー!』と言ってガバッと抱擁してくれていたのに、私はずっと魂の抜けた金魚のような目をしていました。これはいつまで続くのか…?
幸せだけど、地獄みたいな生活の始まりです。
吐き気VS仕事
(~妊娠初期~2013年12月)
私たち夫婦は当時同じ整形外科のリハビリ室で働いていました。(職場結婚です)
2人とも2014年4月末で退職が決まっており、院長は5月に開業、私は7月に子供が産まれるのでギリギリまでは新しい店を手伝って働くつもりでした。
でも、いざつわりが本格化するといつもと同じに働くことは困難を極めました。寝ても覚めても吐き気がある上に、ほんの少しのにおいでもアウトだったのです。
例えば、風邪予防に着けていたマスク。このマスクの素材のにおいだけでも吐き気がするのです。当然自分の吐く息もダメだったので、マスクにミントの香りがするオイルをつけてみたり。なんというか、妊娠後に突然嗅覚がフルで活動し始めたというか。
においレベルを数値化して考えると、非妊娠時が3か4くらいだとすると、妊娠したとたんに最大値10まで一気に跳ね上がったような感じでした。とにかくにおいのオンパレードです。どこにいても何かしらのにおい攻撃を受けます。
ガムでも噛めたら良かったのですが、人工甘味料が入っているものは一切受け付けなかったので、食べられるものはかなり限定されました。
妊娠すると体に害があるようなものを体が拒絶するようで、本当によくできているなぁと感心しましたが、今まで関わってきたものは予想以上に体に良くないものばかりだったのだと思い知ることにもなりました。
いつもの柔軟剤や洗剤もダメ。歯磨き粉もダメ。シャンプーの匂いももちろん、ご飯の匂いなんかもダメ。なので洗剤もシャンプーも総取り換えとなりました。
食べられるものも日に日に変わり、「カリカリ梅は食べられる!」と何袋も買い込んだのに2日後には食べられなくなったり、辛ラーメンしか食べられない時期も。ご飯を食べられなくても食事の支度はあったので頑張って作りましたが、においで胃がやられてとても食べる気にはなりませんでした。
味覚が変わったりもして、口の中がなぜかずっと甘いとか、ずっと苦い時期もあってそれもキツいものがありました。
飲み物で言うと、1番お世話になったのは午後の紅茶のミルクティーです。
こんなに甘ったるいもの、逆にダメになりそうな感じですが私には合っていたようです。
何か月かはそれしか飲めず、職場に行くときには毎日水筒に入れて持っていきました。
そんな生活をしていたから妊娠5ヶ月くらいまではどんどん体重は落ちていたので、同じ職場のスタッフや患者さんも私の妊娠には気が付きません。指まで痩せて指輪がゆるくなっていました。
安定期に入るまでは、同じリハビリのスタッフ数名にしか妊娠のことを伝えていませんでしたが、身体の大きな患者さんの移動を代わってくれたり、お腹の張りが強い時には空いているベッドに横にならせてくれたり。
香水などにおいのきつい人が来たら率先して「やりますよ!」と言ってくれました。
と同時に、全然役にたたない自分に涙が出てくることも多々ありました。様々な面でみんなにサポートをしてもらい、本当に何度感謝しても足りないほどでした。
安定期、つわりばいばい?
(~妊娠中期~)
妊娠5ヶ月でいわゆる“安定期”に入るそうですが、私は6か月くらいまではつわりに苦しめられてきました。毎日が船酔いのような出口の見えない毎日でしたが、とうとう長いトンネルは終わりに向かっているようです。だんだんと日の光が見えてきました。
やった―――――!!!
頑張ったぞ、自分!
半年が経過した頃には徐々に吐き気が緩やかになり、ご飯が少し食べられるようになり、院長はつわりを乗り越えた私へのご褒美に、びっくりドンキーに連れて行ってくれました。ご飯とチーズソースがたっぷりかかったハンバーグ、食後にはデザートまで頼んで大満足の一日です。
ご飯がおいしく食べられるだけでこんなに嬉しいとは。
妊娠やつわりを経験して、こういった喜びを再確認することができました。吐き気ばかりで憂鬱だった日々も無駄ではなかったのです。
つわりが楽になってきた一方で、今度はお腹が大きくなっていきます。食事がとれるようになってきたからでしょうか、体重も少しずつ右肩上がりで増えていきました。
…『妊娠したら、水を飲んでも太るからね。』
友人からのアドバイスがふっと頭をよぎり、背筋がゾクッとしました。
人によっては息をするだけで太る。なんていうのも聞いた事があります…そんなばかな。それでは黙っているだけで太っていくことになるではないか。
それに私は、「この子が元気で大きくなってくれさえすればいい。いままでかなり体重が減ったのだからじゃんじゃん増えたって知れているだろう。」と思っていました。
まさか黙っていても太る期に突入していたとは。
このつわりが無くなった月に一気に体重が増えるとは思っていませんでした。
あのびっくりドンキーを皮切りに、ご飯以外にもお菓子などを次々に食べ始めた私は、もはや食欲の塊になっていたのです。
だって今までこんなに我慢していたんだからいいじゃないか。つわりで減った分を考えたらあと○キロは太っても大丈夫、まだたったの3キロだし…などと太ってもいい言い訳ばかりを考えていました。
職場には毎日「ぱりんこ」というおせんべいを持ち込み、家に帰れば今度は「ポテトチップス」を一袋。毎日毎日なにかしらのお菓子を買って帰宅していました。
もちろんこんな生活をしていることがバレれば、院長だって黙ってはいないでしょう。
私はバレないように食べ終わった後のゴミは、ごみ袋の一番奥底にねじ込んで捨てていました。証拠隠滅を図るとまた明日には別のお菓子を物色する、といった毎日でした。
しかし、こんな私の小細工を院長はとうに見抜いていたのです。怪しんだ院長はゴミ袋の中身も確認して証拠を押さえていました。
今考えると、院長の勘の良さは前々から知っていたのに、私の詰めが甘すぎたのです。
以前の職場で他のスタッフに「山本先生は後ろに目が付いている」と言われていただけあって、彼の洞察力はみんなが感心するほど高かったのです。
患者さんの異変などにも、一番遠くにいるはずの院長が誰より先に気が付く。なんていうこともよくありました。(でも肝心な事には気が付いてくれない鈍感さも持っています)
そんなこんなで私の暴食は院長にばれてしまいましたが、そう簡単には買い食いは止められるものではありませんでした。私は作戦を変更し、帰りがけにお菓子を買って食べ終わったら外のゴミ箱に捨てて帰ることにしました。
どうしても家で食べたい時には、ゴミはかばんの中のポケットにしまい込んで決して家では捨てないようにしたのです。
おかげで、その暴食したひと月で体重は4キロ増えていました。
ご飯というよりもお菓子がやめられない。でも体重は病院でいよいよ怒られたら気を付ければいいんだ。
もはや誰の言葉も聞く耳を持たない暴食妊婦に成り下がっていました。なんだかつわり期を終えた妊婦は、産まれたてのはらぺこあおむしに似ています。
はらぺこあおむしとはとても有名な絵本なのですが、簡単に説明すると一匹のあおむしが産まれ、空腹のあおむしは最初はリンゴやイチゴなどの果物を食べていましたが、どんなに食べても空腹だった為次々と暴食を繰り返して最終的には食べ過ぎでお腹を痛めてしまうのです。
読んでいるときは「そんなに食べ過ぎてしまうなんてばかだなぁ」と思っていたのに気づけば自分がそうなっていました。
こんな状態なのでズボンのファスナーはBLEACHの卍解の如く常に解き放たれているというとんでもない状態です。
さて、この暴食妊婦はその後どうなっていくのでしょうか…?
今回のお話はこの辺りで終わりにしようと思います。
後半もぜひ読んでいただけたら嬉しいです!
私の更新は今年最後になります、拙い文章にお付き合いくださってありがとうございました!
2018年も北郷通りはり灸整骨院をよろしくお願い致します。みなさんよいお年をお迎えくださいね!!
出会い、始まり。
こんにちは!!
本日は、私目線から見た院長と整動鍼。
そしてそれを漫画“ちはやふる”と重ね合わせてお送りしたいと思います。
“ちはやふる”とは、競技かるたを題材にした漫画で、私の大好きな作品です。
映画化もされ、国民的大ヒット作になりましたね。
ちなみに、「ちはやふる」とは、百人一首の中の一つの句の初めの5文字です。
※百人一首とは、平安時代末期~鎌倉時代初期にかけて活動した公家、藤原定家(ふじわらのていか)が選んだ和歌をまとめたもので、一人一首ずつ選んで作った和歌集です。
この作品に出会うまでは、百人一首に興味を持ったことすらありませんでしたが、意味を調べてみると、ものすごく熱い思いの丈が込められていることが分かりました。
それを語りだすと長くなるので、またいずれ。
なぜ、このご時世にかるた?と思うかもしれませんが(私も読む前はそう思ってました)
「かるた」のイメージが180度変わる!と断言できる程、熱く激しい戦い(&たまに恋模様)が描かれています。
今では、頭の片隅にいつもちはやふるが寄り添っています。
心に残る作品に出会えた時の感動はひとしおですね。
私が特に推したいのは、作中に出てくる数多くの名言たち。
ぼろぼろ泣く、、という感じではなくて目頭がぎゅっと熱くなる。という感じです。
鳥肌さえ立ちます。
見ていない人からすると、なんのこっちゃ!?だと思いますので、これから私のイチオシを少しだけご紹介させて頂きます!!
整動鍼との出会いと決意
院長が、初めて整動鍼というものを知ったのは、札幌で開かれた美容鍼の勉強会での事。
そこで出会った先生が、美容鍼以外にも興味深い、ある“鍼治療”について熱く熱く語ってくれたそうです。
院長は、不意打ちをくらったような不思議な気持ちだったそうです。
その先生が話す、自分の知らない“鍼治療”についての熱量がもの凄かったからです。
これからは美容鍼でじゃんじゃん稼ごう!と思っていたし、あわよくば“実験台”と称して自らを綺麗にしてもらうことで頭がいっぱいでした。
でも、美容鍼を始めてみたものの、そこまで患者さんを呼び込むことはできず。
もちろんやる気が無かったわけではありませんが、この頃は鍼灸師として、進むべき方向に迷っていたように見えました。
自分はなぜ鍼灸師になったのか。
鍼灸師になってやりたかった事は何なのか。
実際に私も施術を受けてみて、顔全体のリフトアップや、小じわが薄くなったりしたこともあり、効果が出ていないわけではありませんでした。
他にもチラシを作って配ったり、ビフォーアフターを掲載するなど、出来ることはしてきました。
ですが、肝心の“美容鍼をする覚悟”が決まっていないまま続けても、結果はついてきてはくれませんでした。
そんな時ふっと思い出されたのは・・・
院長の頭の隅にずっと引っかかっていた“整動鍼”の事でした。
当院での鍼治療は、腰痛時には腰に鍼を。肩こりには肩に鍼を。
場合によっては鍼に電気を流したり、といったよくあるやり方でした。
でも整動鍼では、腰が痛いときに腰に鍼をする。ということはほとんどありません。
代わりに、足の甲やスネに鍼をしたりするのです。
そんな光景見たことない!という私からすれば、ちんぷんかんぷんでした。
それを学ぶためには、また1から勉強をし直す必要がありました。
ここで登場するのがこの言葉。
(ちはやふる23巻より 深作先生の言葉)
“たいていのチャンスのドアにはノブがない…
自分からは開けられない
誰かが開けてくれたときに迷わず飛び込んでいけるかどうか”
そうだ。これはチャンスなのだと。
扉を開けてくれたのは、美容鍼で出会った、今の整動協会の副代表でもある快気堂鍼灸院白石の谷地先生でした。
院長は迷いもあったと思います。
1から新しい事を始めるのは誰もが恐ろしいものです。
でも、院長はそのドアへと飛び込んでいくことができました。
まだまだ始まったばかり、整動鍼への険しい道のりのスタートです。
勉強会中心の生活
基本的に、勉強会は東京で行われることが多いので、院長は1年に何回も飛行機に乗らねばなりません。
慣れない地で、頭がパンクしそうなほどの知識を持ち帰り、夜中に帰宅してすぐに私の体に鍼をして臨床実験をしたり。
とにかく、忘れる前に体で覚えよう。と…
少し頑張り過ぎているのではないか。と心配になることもありましたが、それでも大丈夫と思えたのは、本人が本当に楽しんで治療していること。
ひどい腰痛や頭痛やばね指など、今まで苦戦していたような症状の方も治せるようになり、整動鍼への無限の可能性をひしひしと感じ、「こんな症状も鍼で治せるの!?」と2人で驚くこともよくありました。
そんな中、治療に行き詰まるときがありました。
もっともっと、上へ!!
鍼治療をしにきてくれる患者様が少しずつ増え、整動鍼に少しづつ慣れていく院長。
「さっきより良くなりました!」と言われると同時に、「ここはまだ痛みが残ってます。」と聞けば、もっと治さなくてはいけない。と躍起になって、思うように終えられなかったときに落ち込むことも。
何年もずっと引きずっている痛みを1度で取るのは、さすがの整動鍼と言えどなかなか難しい話です。
でも、少しずつ成果を出せるようになってきたからこその葛藤だったのでしょう。
ここでまた、私が感銘を受けた言葉を。
(ちはやふる11巻より 坪口さんの言葉)
“難しいよな
新しい武器を手に入れるとき、どうしても一時的に結果は悪くなる
それでも手に入れにいくか
すでに使える武器だけをより磨くか”
そう。
院長が手に入れた新しい武器はものすごいパワーを秘めていますが、使いこなせるようになるまでには、ものすごい鍛練が必要なのです。
現在、院長は悩んだ末に今まで使ってきた武器にさよならを告げ、新しい武器を使いこなせる日を夢見て、日々勉強しております。
大変なことはこれからも沢山出てくると思いますが、そんな場面でも楽しみながら乗り越えていって欲しいと思っています。
今回はかるたでも鍼灸でも、どんな職業のどんな人にもきっと届くであろう言葉たちの一部を紹介させていただきました。
まだまだ載せたい名言があるのですが、今日はこの辺で。
また私が気が付いたことや、思った事をブログにアップしていこうと思いますので、読んでくださると嬉しいです!
若干マニアックな投稿になってしまいましたが、最後までお付き合いありがとうございました!!
ギックリ腰と魔法使い
こんにちは!!北郷通りはり灸整骨院の受付、山本三織都と申します!
毎日少しずつ寒くなり、今朝の札幌は手袋をしていてもビリビリと感じるほど冷たい風が吹いています。
あまりに寒かったので現在放送中のドラマ、【陸王】の茂木選手のように風よけ対策として、院長の後ろに隠れながらの出勤でした。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
私事ですが、先月の日曜日(11月26日)に、数年に一度あるかないかの激しい「ぎっくり腰」になってしまいました。
ここ1年くらいの間でも軽いぎっくりは2回ほどあったものの幸い軽症だった為、はりをしてもらってすぐに回復しました。
ですが今回はなかなかの重傷で、就寝時に仰向けもできない。
むしろ、体勢を変えたいのに数センチ動くだけで悲鳴をあげるほどでした。
遡ると、あれは土曜の朝。
布団をあげると軽く腰に違和感が。
なんとなくピシッと痛みもありました。
でもこの程度の痛みは日常茶飯事なので気にも留めず、いつも通りに過ごしました。
…そして翌日。
仕事も休みで朝からゆったりと過ごし、娘と「おかあさんといっしょ」を観ていて、親子で一緒にダンスをするコーナーに差し掛かった時でした。
2歳の娘はこのコーナーの「でかけよう!」という歌が大好きでイントロが聴こえてくると「ママ!はじまったよ!」と私を誘いにきます。
私もまんざらでもなく、娘と一緒に楽しめるダンスが好きなので
(他にもブンバ・ボーンや、しまじろうのわお!など)
二人仲良く起立して踊り始めました。
♪⦅おはようYEAH!げんきYEAH!たいようSUNそらたかくのぼってるYEAH!⦆♪
…なんだかこちらまで元気いっぱいになれちゃうメロディと歌詞です。
Eテレは本当に素敵な歌が沢山あることを、娘のおかげで知ることが出来ました。
♪⦅おにぎりにぎにぎにぎって~⦆♪ このあたりで異変が。
おにぎりに、のりをぐるぐる巻くような歌詞のところで子供を抱っこして一周するシーンなのですがその再現直後に、立てなくなる位の痛みが襲ってきたのです。
高校生の時からぎっくり腰に悩まされてきた自分だからこそわかる。
これは、いつもだったら最低3日は寝たきり。
トイレに行くのに杖をついて行くレベルのものだと。
私の実家には、それ用に購入した杖があります。
杖でも使わないと、立つことすらままならないぎっくり腰を何度経験したか知れません。
娘とのダンスはそこで強制終了し、せっかくの日曜が全部無駄になってしまった事で心底がっかりしました。
救いは、主人が午前中お休みだったことでした。
主人は北郷通りはり灸整骨院の院長で、私たちは夫婦でお店を切り盛りしています。
午後から勉強会の為、忙しいとは思いましたが背に腹は代えられないというやつです。
「治してください」と半泣きですがりつきました。
はりをしてもらう為に仰向けになるだけでも辛く、動くたびに「痛い、痛い!」と叫びました。
ツボをとってもらってる間もお先真っ暗な気持ちです。
人間は具合が悪いときには通常の時と比べて随分ネガティブになるものですね。
普段とても信頼している整動鍼ですら、この酷い痛みを取り除くことが出来るのか?
という不安でいっぱいでした。
まずは、右のスネのあたりに1本。
そして、もう1本は手の側面?あたりにうってくれました。
少し時間を置いている間に、一人ぼーっと考えていました。
今までになったぎっくり腰のことです。
初めてなったのは17才の夏。実家は坂の多い所で、立って自転車を漕いでいたら突然腰に痛みが走り、驚きましたが「これがぎっくりというやつか。」とすぐに分かりました。
寝ても覚めても痛く、整形外科で車いすに乗せられリハビリをしてもらうも、全く効果はなく、最終的には痛~いブロック注射を打ってもらい帰宅しました。
当時の私はこのブロック注射に頼るしか方法がなく、近所の整骨院や鍼灸院などにも通ってみましたが、回復をすることはなかったので最終兵器として「ブロックを打つ」
となりました。
でもこの注射がまた痛くて痛くて。今でも軽いトラウマになっています。
数本おしりに刺すのですが、叫ばないように毎回必死で我慢していました。
二度と打ちたくない。と思うのですがそんなことはお構いなしにぎっくりはやってきました。何度でも復活するそれはまさにゾンビのようです。
おまけに打ったあとには安静にしなくてはならず、2時間程入院しなくてはなりませんでした。
他にも靴下を履こうとしてぎくっとなったり、お寿司屋さんでのアルバイト中に10キロの米を持ち上げた時や、妊娠初期のとき。
何もしていないのになった事もあります。
産後に退院した帰りに、ベビーシートを持ち上げてギクッとなった時には心から後悔しました。
ただでさえ大変な産後の育児の最中、どんなに辛くても赤ちゃんの世話を休むわけにはいかなかったからです。
その時は腰を曲げるのも辛かったので、かがんで授乳をする行為は拷問に近いものがありました。
そもそも起き上がるのすら数分かかったのです。
授乳中は強い薬を飲むわけにもいかず、せいぜい患部にアイシングをするぐらいでした。
床上げまでの間、お世話をしてくれる母がいなかったら…と考えると恐ろしいものがあります。この場を借りて改めて感謝します。
初めての出産で舐めてかかっていましたが、想像以上に体はボロボロのポンコツです。
みなさんも私のように退院した瞬間に重い物を持つなんてことは決してしないようにしてくださいね!!
…と、少し脱線しましたが
はりをしてから10分ほど経過しました。
どうなっただろう。
まだ少しも身動きをとっていないので、変化したかどうかも分かりません。
「いいよ。」と言われ、はりが抜かれたことを確認すると恐る恐る上体を起こします。
あら。軽く横向きになるだけでも痛かったのに、なんの痛みも感じません。
さらに完全に起き上がって一歩二歩と歩いてみるとびっくりするくらい痛みが消え去っていました。
正直、今まで何度となくはり治療を受けてきた中で一番の衝撃でした。
非現実的な言い方になりますが、『魔法』のようです。
整動鍼を始めて間もないころ、酷いぎっくり腰の男性が来院されました。
立って歩くのもやっとといった具合で、腰は曲がったまま苦痛に満ちた表情をされていました。
その患者様がはり治療を受け始め、私は受付の椅子に座ってパソコンの入力作業や書き物をしながら耳をかたむけていると…
『えー!なんで!?』
『痛くない!!』
『魔法みたいですね!』
そんな会話が聞こえてきたのです。
とにかく院長がものすごく褒められているということが分かり、私も密かにガッツポーズをしていました。
魔法だなんて。
開業してから今までにそんな事を言われたのは初めてでした。
でも、その言葉の意味が今回のことで初めて分かったような気がします。
腰が曲がった状態でいらっしゃった患者様は、帰りは背筋を伸ばしてすたすたと歩いて帰られました。
それから、『こんなに治るなんて、不思議だ…』など、ファンタジックな誉め言葉をよく頂くようになりましたが、今回は私自身が体感することなり、激しいぎっくりになった事すらも良かったかも。と思ってしまいました。
良くはないですが(笑)
まさしくマジックのように、短時間で鮮やかに治ってしまったんですから。
思わず主人に向かって「神様!」と言いました。
痛みがないことで、あまりの嬉しさに小走りして軽くジャンプをして怒られたのは余計でした。
いくら痛みが消えても、体はまだまだ通常時と同じになった訳ではないので無理は禁物です。
しばらくは子供にも抱っこは我慢してもらったし布団の上げ下げも主人にしてもらいながら生活しました。
でも、今回のぎっくり腰で1日たりとも寝たきりになって時間を無駄にすることはありませんでした。
これは今後の人生においてとても意味のあることだと思います。
妊娠中(主人が整動鍼を始める前)は大きなお腹の為か、かなり腰痛に苦しみましたが、はり治療は薬の飲めない妊婦さんでも受けて頂くことができる改善策だと思います。
もし、同じように体の痛みに悩んでいる方がいるとしたら当院でもお力になれるよう精いっぱい治療させていただきますのでいつでもお待ちしています!!
長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました!